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隣の猫町 (下)

(承

やっとのことで、自分がいる場所を把握できたのですが、どこをどう通って家に帰るのがいいのか、そこのところがよくわからず、ちょっとそのあたりを歩きまわってしまいました。

見上げると、国道とトンネルを迂回するルートがあるように見えました。ひょっとしたら、山の上までいかなければいけないのかと思いましたが、まあ、それも経験と思い、階段を上っていったら、こうなっていました。

kokudou no tunnel no ura

知りませんでしたねえ。トンネルの表側は見慣れていますが、裏側に秘密の通路があったとは!

kokudou no tunnel no omote
この見慣れた飾りの裏側に通路があるとは知らなかった!

なんだか、子どもっぽい気分になりましたが、いかにもそういう場所なのです。わたしが子どもで、近所に住んでいたら、このへんを遊び場にするにちがいありません。

ところが、子どもはおろか、生き物らしきものはまったく通らず、なんだかわびしくなってきました。

kokudou no tunnel no kaidan
線路、車道、人道の三重立体交叉になっている。

トンネル裏の秘密の通路を通って、向こう側の道に降りると、国道の下をJRが通っているのがわかりました。いやはや、まったくこのあたりは複雑です。道路も、二種類の鉄道も、山を貫いて走るために、どこでどう交叉しているのか、きちんと認識できないのです。

またしても、わたしが小学校低学年だったら、こういう場所はぜったいにほうっておかないのに、と思いました。この複雑さは大いなる魅力です。

kokudou to jr no tunnel

子どもが少なくなったのか、それとも、こういう場所で遊ぶのは時代遅れなのか、通ってきた道をふりかえって、ちょっと考え込んでしまいました。
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隣の猫町 (中)

(承

萩原朔太郎が『猫町』でいっているような「三半規管の疾病」など、わたしにはないと思うが、絶対音感のような「絶対方向感覚」などもっていないので、曲がりくねった道を歩いているうちに、方向感覚を失うことはある。

前回、略地図を掲げたが、あの位置関係の認識がまちがっていたことが、あとでわかった。まちがった地図を再掲し、そのつぎに正しい位置関係の略図を示す。

nekomachi ryakuzu1

ryakuzu2

表通り(といっても狭いのだが)がすでにうねっていて、そこで勘違いを起こしやすいのだが、小さい曲がりを無視すれば、この道はグローバルには西に向かっているとみなしていた。その西に向かう道に対して、ほぼ直角に曲がり、その狭い脇道を、曲がりくねりながらも、だいたい北に向かって歩いているつもりだったのである。

思った以上に表通りが北に寄っていたことと、入りこんだ脇道がかなり東寄りに湾曲していたこと、この二つの点を勘違いしたために、わたしはいつのまにか東に向かって歩いていたことに気づかず、「猫町」眩暈に襲われただけだった。

しかし、それに気づいたのは、ずっとあとのこと、この通りにぶつかってからだった。

kokudou

一瞬、どこの通りかと思ったが、出てみれば、そこは国道だった。まさに猫町で、よく知っているところに、いつもとはちがう入り方をしただけだったのだ。

高速道路が開通する以前には、ここを通らねば町の外には出られなかったし、いまも近場に行くには通るところなので、このトンネルは見慣れたものだった。だが、歩いてこんな場所に来たことはいままでなかった。

横断歩道などない場所で、このへんの人たちは道路の向こうには行けない分断国家状態かと思った。だが、蛇の道は蛇、ではクリシェのファウル・チップだが、ちゃんと国道を横断するルートはあった。ただし、ちょっと意外なところに。(つづく)

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隣の猫町 (上)

前回は萩原朔太郎が『猫町』で描いた、認知の錯誤のことを書いた。本日は、つい最近、わたしが迷いこんでしまった猫町の話。

すでに何度かふれたように、わが住む町は高低差に富み、道が入り組んで、すぐ近所にすら、足を踏み入れたことのない場所がたくさんある。

散歩ブログなどというものをはじめた以上、この複雑怪奇なア・ヘル・オヴ・ロング・アンド・ワインディング・ローズの隅々まで踏破しなくてはいけないと一念発起し、いままでは用がないからと行かなかったところでも、ずんずん入っていき、無遠慮にシャッターを切っている。

わが町の特徴は、平地がほとんどないため、まっすぐな道もほとんどない、ということに尽きる。水平に曲がりくねり、垂直にアップ・ダウンするのが当たり前なのだ。

わが家から15分ほどのところに、丘のあいだの谷間を、海際から山へとダラダラあがっていく道がある。この両側は複雑怪奇なうえに、べつに用事もないので、とりわけ道の北側にはほとんど入ったことがなかった。となれば、入ってみるしかない!

nekomachi ryakuzu1

おそろしくヘタな地図でどうも失礼。これはじっさいの道を描いたというより、「脳内ブロック配置図」というべきもので、あくまでも、この脇道に入りこんでいったときの、わたしの主観にすぎない。こういう位置関係だと思って歩いていったのだ。

wafuu shitamiita no ie

古びた家の写真などを撮りながら、数分も行くと、向こうに踏み切りが見えた。皆様にはなんの意味もないが、わたしはビックリした。こんなところを電車が走っているとは思わなかったのだ。上記の略図をご覧あれ。線路にはぶつからない道なのだ。いや、そのはずだったのだ。

nekomachi fumikiri1

小津安二郎の『麦秋』の終盤、散歩に出かけた菅井一郎が、遮断機に行く手を遮られ、まるで人生に敗れたように道ばたに腰を下ろしてしまう、あの印象的なシーンと同じような感覚、といっては大げさだが、わたしはありえない線路にぶつかって、ショックを感じた。

nekomachi fumikiri bangoya
踏切番小屋などという古風なものがあったが、もう使われていない様子だった。この写真を撮った直後に、番小屋誕生の背景を知ることになった。

わけがわからないまま、めったに乗らないJRが、ここを通っている可能性に思い当たった。このあたりで私鉄とJRが山のなかのどこかで立体交差しているはずだった。それで納得したところに、ちょうどカンカンカンカンと鳴りだしたので、列車が通るのを待って写真を撮ることにした。

ところが、どういうわけか、やってきた車輌は私鉄のものだった! また混迷に陥ったわたしは、遮断機が上がり、車がいなくなったところで、踏切の真ん中に立って、トンネルの向こうにレンズを向けた。

nekomachi tonari no eki

駅が見えたが、あの駅がどこなのか、混乱したわたしには、それすら判断できなかった。このあたりは、駅間が極度に短く、思わぬショートカットを通って、もうひとつ向こうの駅まで行ってしまったのかとすら思った。それなら、予想外のところを線路が通っていたことも納得できる。

写真を撮っていたら、また遮断機がおりはじめたので、あわてて線路外に出たら、通りかかった老婦人(というより老婆という言葉のほうがふさわしかったが)が大げさな身振りで、「おお、こわ」と、足を踏み入れかけて引き返し、写真を撮ろうとカメラを構えたわたしと並んだ。そして、「昔、ここで子どもが二人、電車にはねられてね」などと話しはじめたのである!

nekomachi fumikiri hantaigawa
この写真を撮っているときに、フレームの左側外にいる老婆から、昔の痛ましい事故の話をきいた。いや、心霊写真などではないので、気になさらないように。

ただでさえ、狐に化かされたような割り切れなさに困惑しているところに、なにやら不気味な雰囲気を漂わせる見知らぬ老婆に、この場所で死んだ子どもたちの話など聞かされて、わたしは「猫町かよ」と身震いした。

山間の道はすでに明るさを失いはじめていた。なにやら現実感が溶けて流れだすような、フワフワと頼りない気分になってきた。(つづく)

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猫町徘徊

猫ブログをはじめようと思い、パートナーと名前を相談した。ちょっと難航したが、結局、『猫町ぶらり』となった。もちろん、出典は萩原朔太郎の『猫町』である。

これは青空文庫で読むことができるが、できれば伝統的な印刷物で、それも歴史的仮名遣いで読むほうがはるかに味わいがある。

萩原朔太郎『青猫』復刻版化粧函

『青猫』復刻版表紙
『猫町』の復刻版をもっているはずだと思って、ほるぷ出版の復刻版をしまったところを見てみたが、出てきたのは『青猫』だけだった。上が函、下が表紙。シンプルだが、悪くない装幀である。アンカット・フランス装で、そこもちゃんと復刻してある。中を見たら、アンカットのままだった。ということはつまり、切っていないのだから、読んでいないということ! これは飾りないしは愛玩品として買い、読むのはべつのエディションにした。いまではそういう趣味はないが、若いころはビブリオマニアだったのだ。

『猫町』の導入部に、道に迷って見知らぬ町に入りこんだというくだりがある。上記の青空文庫版からその部分を引用させていただく。

「一体こんな町が、東京の何所にあったのだろう。私は地理を忘れてしまった。しかし時間の計算から、それが私の家の近所であること、徒歩で半時間位しか離れていないいつもの私の散歩区域、もしくはそのすぐ近い範囲にあることだけは、確実に疑いなく解っていた。しかもそんな近いところに、今まで少しも人に知れずに、どうしてこんな町があったのだろう?
 私は夢を見ているような気がした。それが現実の町ではなくって、幻燈の幕に映った、影絵の町のように思われた。だがその瞬間に、私の記憶と常識が回復した。気が付いて見れば、それは私のよく知っている、近所の詰らない、ありふれた郊外の町なのである。(中略)この魔法のような不思議の変化は、単に私が道に迷って、方位を錯覚したことにだけ原因している。いつも町の南はずれにあるポストが、反対の入口である北に見えた。いつもは左側にある街路の町家が、逆に右側の方へ移ってしまった。そしてただこの変化が、すべての町を珍しく新しい物に見せたのだった」

そして、『猫町』の語り手は、こういう「現象」(?)が起きる理由を、三半規管の異常による方向感覚の喪失に帰しているが、それはどうだろうか。認知科学のほうで簡単に説明できることなのではないかと思うが、そういうことにしてしまい、自分の頭を使わないのは好きではない。

アメリカデイゴ遠景
海岸の公園に植えられたアメリカデイゴ。南米原産で、鹿児島には多いそうだが、最近は南関東でもときおり見かけるようになった。関東の南国化の兆しなのだろう。快晴の昼間に撮れば、南国らしさが伝わるだろうが、これを撮ったのは曇りの日の日没直前。来年はいいタイミングで撮ろうと反省した。

われわれの意識における「町のゲシュタルト」とでもいうべきものは、きっと縦横上下左右の区別のあるユニットが一定のルールにしたがって相互接続した、その連なりなのではないかという気がする。

たとえば、「トンネル」「坂」「長い階段」「駅」というブロックまたはユニットがあり、これを決められた方向で相互に接続したものが「脳内地図」としてある、という概念が想定できる。

と考えると、これはそれほど複雑なものではないように思えてくる。いわば、穴のあいた珠にひもを通して数珠にした程度の構造なのだ。たんに、数珠ほど珠の数が少ないことはなく、首を三廻りぐらいする真珠のネックレスよりも珠が多いだけだろう。

アメリカデイゴの木
この木にかかっていた名札に「アメリカデイゴ」と書いてあったから、そのまま覚えたのだが、調べてみると、「デイゴ」は日本語で、「梯梧」と書くのだそうな。なんでも調べてみるものだ!

そして、このひもの通し方を変えてしまうと、相互の連関が失われ、個々の「珠」は一瞬にして認知不能な存在になってしまうのではないか? 既知のものを既知の法則と順序で接続した場合にのみ認知されるのであって、接続方法を変更しただけで、既知のユニットは未知の存在へと退行させられてしまう。

だから、このような「猫町現象」は、とりたてて方向感覚が悪いわけではない、ふつうの人間にも起こるにちがいない。多くの人が経験しながら、それを一般化、抽象化し、キャッチーな「愛称」をつけられずに来た「感覚の事象」をあざやかに取り出し、印象的な名前を与えたことで、『猫町』は文学史の一角に居場所を確保したのである。

そして、一般名詞としての「猫町」現象は、散歩にはつきものだ。じっさい、ついこのあいだも、わたしは認知の錯誤に幻惑させられた。その話はつぎのときに。

アメリカデイゴの花

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続・滅びなん、いざ、もろともに

8月8日に「滅びなん、いざ、もろともに」と題して、少々ガタのきた三軒並びの古びた家のことを書いた。

その帰路、これもいずれここで書こうと思っているテーマに関係のあるものに出くわした。その写真を撮ろうと立ち止まり、下を見たら、こういう家があった。

ゆがんだ屋根1

ゆがんだ屋根2

残念ながら、瓦屋根の葺き方については、まったくどんな知識も持ち合わせていない。だから、なぜこうなってしまったのかという理由はわからないし、このままで下は無事なのかどうかだって見当もつかない。わかるのは、見事なくらいの歪み方だということだけだ。味はあるが、これが人間の背骨だったら、とても無事ではすまず、即座に矯正治療しなければならないだろう。

しかし、ファインダーから目を離すと(液晶ではいまだにピントが合っているのかどうか判断できない)、ぐあいの悪い屋根はこれだけではないことに気づいた。

ゆがんだ屋根3

これはどういうことなのだろう? 前々回の記事でふれた三軒連なりがそろって傷んだのはわかる。あれは同時に建てられたもので、内部では相互に支え合い、ほとんど一体化しているのだろう。

だが、このあたりに屋根の傷んだ家が集まらなければならない理由は、まったく推測ができない。屋根に穴が開いているのに、衛星用のディッシュ・アンテナはあるって、それはどういうことだ! 雨漏りする箇所は生活から切り離し、それ以外のところで暮らしている?

ゆがんだ屋根4

なんだかわからないが、そのわけのわからなさが面白くて、ニヤニヤしてしまった。どういう人が住んでいるのか、いくぶんか興味があったが、なんだか顔をたしかめては申し訳ないような気もして、手早く写真を撮り、わが家への道を急いだのだった。

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