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昭和戦前古建築散歩 東洋キネマ(神田神保町)

松山巌の『乱歩と東京』を読んだころ、もう一冊、建築のほうへと歩きだすきっかけになった本を読んだ。藤森照信の『建築探偵の冒険』である。これまた、まだあちこちに半世紀前の興味深い建築があることを知らしめる本で、おおいに啓発された。

藤森照信 建築探偵の冒険

この時点ではまだ『日本近代建築総覧』は手に入れていなかったので、タイトルは忘れたが、東京の主だった西洋建築を網羅した本を図書館で見つけ、ここに記された住所を頼りに建築歩きをはじめた。

歩きはじめたときには、まず見たいと思ったものが数十はあった。とりわけ惹かれていたのが6、7件あり、そのうちのひとつが、『建築探偵の冒険』で驚きをもって描かれていた、神田神保町の東洋キネマだった。

東洋キネマ

手元に『建築探偵の冒険』がなく、しかも、四半世紀前に読んだきりなので、ほとんどなにも記憶していないが、たしか「現存する唯一のダダイズム建築」というような表現がされていたと記憶している。

この「東洋キネマ」は神保町の裏手、すずらん通りの竹橋に寄ったあたりにあった。道幅が狭いため、いつものように引きがなく、例によってワイドレンズで撮ったので、とんでもない歪み方をしている。

この建物の際だった特徴は、ファサードのデザインが完全に三分割されていることだ。まるで三棟の建物が寄り集まっているように見えるが、じっさいにはこれで一棟なのだ。とうてい常識的なデザインではない。

東洋キネマ

『日本近代建築総覧』には、設計は小湊健二、中根寅男、竣工は昭和3年、木造二階建てと記載されている。写真で見てもおわかりだろうが、木造なのである。見てのとおり、すでに映画館ではなく、車庫兼倉庫のようになっていたが、どうであれ、よく倒壊もせず、燃えもせず、いままで残っていたものだ、と胸を打たれた。

神田には戦災をまぬかれた建築がずいぶん残っていた。それが地上げ屋に片端からつぶされていった。地上げ屋より速く歩かなければいけないと、あの時期は心せくような思いで、朝から日が傾くまで、20キロ以上を踏破して写真を撮ったことをよく覚えている。

東洋キネマ部分 テラス
写真は2カットしかないが、拡大に耐えられる解像力なのが銀塩写真のいいところ。テラス部分と「東洋キネマ」の文字を拡大してみた。昭和初期らしい描き文字、しかも真っ赤というのがうれしい。

『建築探偵の冒険』に、この建物のどのようなエピソードが書かれていたかはもう記憶がない。たぶん、なにか愕くような話があったにちがいない。気になる方は現物にあたっていただきたい。非常に面白い本で、これほど筆の立つ大学の先生はまずそうたくさんはいないと当時思った。

たしか、徳川夢声の自伝にも東洋キネマが言及されているのを読んだのだが、これまたいまどこかにいってしまって発見できない。かわりに、三國一郎の『徳川夢聲の世界』が出てきた。

三國一郎 徳川夢声の世界
三國一郎の『徳川夢聲の世界』化粧函

徳川夢声年譜
三國一郎の『徳川夢聲の世界』の巻末に付された徳川夢声の年譜

藤森照信のいう「ダダイズム建築」の東洋キネマが竣工したのは昭和3年だから、徳川夢声とは関係がないのだが、夢声が弁士としていたということは、それほど格のない映画館でもなかったのだろう。しかし、ダダイズム時代と夢声の時代が重なっていれば面白かったのにと思う。夢声はスターだったのだから、あの左端の二階部分のテラスから挨拶するなんてことが起きたかもしれない……。


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テーマ : 戦前の建築 - ジャンル : その他

コメント

ダダイズムが立っていた

『建築探偵の冒険』は文字通り「座右の銘」として、デスクの右側に置いていますので、確認しました。

「現存する唯一のダダイズム建築」の部分については、以下のような記述があります。
「焼け野原の東京を、こうした熱病に冒された連中があれやこれや走り抜けて、あとにはダダ的な建物が、熱病の治った後のカサブタのようにボロボロと残された。そのカサブタも、戦後のビルラッシュの大清掃で、一つ二つと片づけられたが、なぜか東洋キネマだけは取り残されてしまった」

「東洋キネマ」の章のタイトルは、
「街角にダダイズムが立っていた -東洋キネマ」です。
「建っていた」じゃなくて「立っていた」なのですね。

バラック建築から看板建築へ

いらっしゃいませ。

> 「現存する唯一のダダイズム建築」の部分については、以下のような記述があります。
> 「焼け野原の東京を、こうした熱病に冒された連中があれやこれや走り抜けて、あとにはダダ的な建物が、熱病の治った後のカサブタのようにボロボロと残された。そのカサブタも、戦後のビルラッシュの大清掃で、一つ二つと片づけられたが、なぜか東洋キネマだけは取り残されてしまった」

すこし記憶がよみがえりました。震災後のバラック建築には、非常に自由な発想のものが数多くあって、その延長線上に東洋キネマもあるということですね。

東洋キネマの写真を掲載しようと思ったとき、自分でも理由がわからないまま、「バラック建築社」を主宰した吉田謙吉の本などをパラパラやってみたのですが、たぶん、藤森照信が東洋キネマとバラック建築社の仕事との共通点を指摘していたのだった思います。

> 「東洋キネマ」の章のタイトルは、
> 「街角にダダイズムが立っていた -東洋キネマ」です。
> 「建っていた」じゃなくて「立っていた」なのですね。

藤森照信の論法だと、東洋キネマも「看板建築」の一種で、通りに面した「表皮」に大きく重心がかかっているということだったのでしょう。だから「建っていた」のではなく、「立っていた」のではないでしょうか。看板ですから。

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