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神奈川臨海鉄道本牧線の旅、とはいかなかったが──続・日活アクション的横浜インダストリアル散歩

子どものころ、世界は中東地図のように複雑であり、危険な火種を抱えていた。

自分の学区を一歩離れて、隣の学区に入ると、首筋がチリチリするような緊張感を味わった。四囲に油断なく目を配り、危険な要素が出現しないか、嫌な目つきでこっちを見ている奴はいないか、つねに確認を怠らなかった。

学区の外でありながら、紛争の起こらない微妙な地域も存在した。どの学区からも離れていて、だれのテリトリーでもない場所である。

ひとつは「猿島」という無人島。無人島だから、学区とは縁がないうえ、渡し舟の船着場はわれわれのテリトリーに隣接していた。

もうひとつは、われわれのテリトリーに接してはいるが、やはりどこの学校の学区でもない国鉄横須賀駅と、隣接する「臨海公園」(現・ヴェルニー公園)、さらにそのとなりの浦賀造船(大東亜戦争中に空母信濃をつくった巨大なガントリー・クレーンがまだ稼働していた)や東京靴下といった工場群。

どちらにもときおり出かけていった。猿島に行く船は数十円の料金を払わなければならず、そうそうはいけなかったが、国鉄横須賀駅周辺はむろんタダ、たんにたどり着くまでに時間がかかるだけだった。

横須賀駅に行くと、われわれはかならず、駅舎の端から出て、臨海公園の脇を抜け、浦賀造船、東京靴下へと延びる引込線の上を歩いた。むろん、バランスをとりながら、細い線路の上を歩くゲームだ。

めったになかったが、引込線で列車に遭遇したら、線路にガムを置き、通り過ぎると、ガムがどこまで延びていったかを確認し、笑いあった。

たぶん、いまでも倉庫上屋や引込線を好ましいものに感じる理由の半分は、そうした子どものころの記憶だろう。もう半分は前回の「D突堤を目指せ!──日活アクション的横浜インダストリアル散歩」に書いたように、子どものころに見たアクション映画だろう。

埠頭の引込線が登場する映画はいくつかあったが、もっとも印象的だったのは、1972年早春、池袋文芸座地下の鈴木清順シネマテークで見た『東京流れ者』(この映画についてはべつのブログの「東京流れ者 by 渡哲也 (OST 『東京流れ者』より その1)」という記事に書いた)だった。この映画の冒頭は、埠頭の引込線で渡哲也が敵のギャングにリンチにされるシーンで、たぶん、撮影は芝浦でおこなわれたのだろう。

tokyo drifter screen shot

tokyo drifter screen shot

tokyo drifter screen shot
以上三葉は鈴木清順監督『東京流れ者』のアヴァン・タイトル・シークェンスより。

横浜の港の引込線がもっとも印象的に使われていたのは、蔵原惟善監督、石原裕次郎、北原美枝主演の『俺は待ってるぜ』だ。この映画の裕次郎は、横浜税関に程近い引込線(現在、赤レンガ倉庫があるあたりだろう)のすぐそばで、小さなレストランを営んでいるという設定だった。

ore ha matteruze

ore ha matteruze
この映画の主要な舞台となるレストランの正面に引込線があり、汽車(!)が走り抜ける。

ore ha matteruze
タイトル・シークェンスが終わり、石原裕次郎がレストランから出てきたショットでは、背後に横浜税関が見える。

ore ha matteruze

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同じ石原裕次郎主演の映画ではもうひとつ、『赤いハンカチ』の冒頭でも、横浜の引込線が使われていた。刑事に扮した裕次郎と二谷英明が、麻薬の運び屋である榎木兵衛を追跡して、深夜のヤードを走りまわるところを舛田利雄監督はダイナミックに捉えていた(『赤いハンカチ』については、べつのブログで記事にした)。

かつては、横浜の本町のはずれはもう港湾施設だったので、繁華街のすぐ近くに引込線があったのだが、その区域は再開発され、横浜博覧会の会場となり、「みなとみらい」という不思議な空間として再生された。

一部に線路が残され、いかにも横浜らしい遊歩道の彩りとなっているが、つまりは飾りにすぎず、ただの鉄棒であり、線路ではない。山下公園の高架はすでになく、税関の周辺にわずかに残された高架は、線路は撤去され、ちょっとだけ眺望のいい遊歩道として再利用されている。(以下の写真はいずれもクリックで拡大可能)

yokohama zeikan
横浜税関。道路に背を向け、海にファサードを向けて建っている。その手前、写真真ん中あたりから左へと高架が走っているが(かつては桜木町駅と山下埠頭をつないでいた)、もはや鉄路はなく、コンクリートの遊歩道になっている。


たとえば、みなとみらいの「ドック・ヤード」、すなわちかつてのドライ・ドックを多目的広場として再生した施設も悪くはない。面白い試みだと思う。だが、産業施設は「遺構」ではなく、現役で活用されているもののほうがはるかに魅力的な相貌をもっている。

ということで、前回につづく本牧散歩、今回は引込線である。

鉄道輸送廃れたりとはいえ、本牧にはまだ引込線があるだろうと思っていたし、じっさい、それはちゃんとあった。だが、そのありようはやや意外なものだった。

線路を探しているわたしの目にまず飛び込んだのは、これだった。

honmoku futou eki

神奈川臨海鉄道? 本牧埠頭駅などと、引込線に駅があり、名前がついていたのには驚いた。あとで調べてみたら、ちゃんとオフィシャル・ウェブ・サイトがあった。「カナリン」というのだ。きっと鉄系の人たちは、この略称を使っているにちがいない!

「当社は、昭和38年6月1日 京浜工業地帯の鉄道貨物輸送を行うため、日本国有鉄道、神奈川県、川崎市及び関係会社の出資あるいは用地の提供等により第3セクター方式で設立され、昭和39年3月 塩浜操駅(現川崎貨物駅)に接続する水江線、千鳥線及び浮島線の営業を開始しました」

ふーん、そうだったのか。昭和38年といえば1963年、まもなく『赤いハンカチ』がつくられようというころ、カナリンはおそらくJRから独立して(経営合理化のためだろう)、一般市民が乗らない路線の運行を引き継いだのだ。

honmoku futou eki

honmoku futou eki

honmoku futou eki

路線は二つあり、ひとつは鶴見・川崎地区、もうひとつが、JR根岸駅と本牧埠頭を結ぶこの本牧線だという。

そうと知っては捨て置くわけにもいかない。いつになるかわからないが、鶴見川崎の路線も歩いてみるつもりだ。

honmoku futou eki
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